キャベツ用千切りピーラーを買った

食生活は壊滅的で一日に一食を摂るか摂らないかといった頻度。メニューもおざなりで、栄養バランスなんてものは存在すらしない。それを良しとする性格であっても妙な罪悪感はあるのか、あるいは身体からの必死な改善要求なのか、時折、野菜くらいは食べた方がいいのではないかという気持ちになる。

自分は極端な偏食で野菜も好きではないが、マヨネーズやドレッシングの助けがあれば葉物等のサラダ類は可食対象である。キャベツに比べてレタスの方が好みではあるが、一食の間隔が長く消費速度が遅いので日保ちを考えると、まだキャベツの方が日保ちしそうということで、野菜分を補うのはキャベツに担当してもらうことにした。

なるべく考えることなく毎食キャベツを摂取しようとするならば、煮たり焼いたりといった調理工程を必要としない「生食」。つまりサラダであり、キャベツのサラダと言えば千切りである。ザク切りでドレッシングや、塩こんぶを絡めて居酒屋のやみつきサラダといった具合でもいいのだが、キャベツの葉は単体である程度の大きさになると甘みが主張しだすのが気に入らない。咀嚼の経過でドレッシングなどの調味料を貫通してくる素材の甘さが許せない。

私は甘い食材が嫌いだ、本当に気色悪い。野菜を甘く育てるのをやめろ。糖度なんて指標は虫目線の基準であることに気付け。いざ食事の場において白米とデザートの位置以外に甘さを配置するな。白米以外に甘みは一切必要ない。主食である甘い白米の上に更に甘みを重ねてどうする馬鹿者が、チョコレートにハチミツをかけるのかお前は。玉子焼きに砂糖を入れるな殴られたいのか。寿司の玉子は食の乏しい時代におけるデザートだ、食事というターンを終え、食後の菓子としての位置付けにある(要出典)。私は寿司が嫌いだ。動物の肉を生で食うな、死にたいのか。種の存続における多様性の中で生肉を好むDNAとは危険を判断するためのリトマス紙であり特攻隊でありファーストペンギンだ。未発達な社会で食糧の可能性を求める時代ならまだしもこの時代にわざわざ危険に手を出すな、なんなら好んで食すとはどういう了見だ。(以下脱線が4000字続く)

キャベツの千切り程度はキッチンバイトの経験もあり難なく行えるのだが何事も面倒がる性質なのでフライパンで炒める程度の作業しかしたくない。というよりは調理器具をあまり多用したくない。包丁とまな板を扱いたくない。使用後に洗うというのがとにかく面倒に感じてしまう。そしてやはり千切り自体も面倒である。

キャベツの千切り用ピーラーという存在は以前から耳にしていたが、こんなものに金を払うくらいなら包丁を使えと思っていたが敗北した。実際使ってみると想像以上に楽でよく出来ている。力を込める感覚もなく撫でる意識でよく切れる。厚みが均一に整うので食感も良い。ピーラーを当てる面については少し注意が必要だが、キャベツの断面、葉の側面に当てることを理解していれば問題ないだろう。だんだん小さくなっていくキャベツに比例して当て方がいささか難しくはなるが、少々雑に扱っても千切りらしいものは生成されるのでそう心配はいらないだろう。

かくして粗雑な食卓に晴れて野菜が加わった訳だが調味料無しで千切りキャベツというのも虚しく塩分糖分脂質諸々を大量に含んだ調味料をぶっかけているせいで栄養バランスという意味では悪化しているのではないかという懸念はあるがキャベツがなんとかしてくれるだろう、そのための野菜なのだから。